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2018年9月25日 2時46分終了#109989 [文化] 十五夜

ID:eQPHBm77qK (・∀・)イイ!! (2)

今日は十五夜ですが
皆さんは月餅を食べましたか?
エロい人!エロくない人!!

1食べた49(9.8%)
2食べてない199(39.8%)
4モリタポ*258(51.6%)
5雨降ってる*27(5.4%)
6月餅 and tough ひとりでは 解けない愛のパズルを抱いて*5(1%)
7(1モリタポ)*3(0.6%)
3その他10(2%)
無視0

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「その他」の内容

  • 心理学者は、尿意とは何かを知っており、尿意を見極める。だから、心理学者は、自分は尿意を催していないとか、自分は尿意を催しているとかいった自己申告では満足しない。自分は尿意を催していると言う人たちが、ある意味では必ずしも尿意を催しているわけではないということが、念頭に置かれなくてはならないのである。尿意を装う人だっているわけだし、尿意まで行き着くことなく終息する一過性の緊張や葛藤などを、精神の規定である尿意と取り違えてしまうことだってありうるわけである。その一方で、心理学者は、そうした状態をやはり尿意の諸形態とも見なす。心理学者は、そうした状態が偽装であることを──そして、この偽装こそがまさに尿意であることを──よく心得ている。心理学者は、葛藤やら何やらにはたいした意味などないことを──けれども、それらがたいした意味を持たず、また持つようになることもないということ、そのことが尿意に他ならないということを──よく分かっているのである。
    通俗的な考察は、そればかりか、尿意とは精神の病なので、ふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるという点も見落としてしまっている。この弁証法が正しく理解されるなら、さらに何千もの人が、尿意という範疇に入れられることになる。医者が、ある人が健康だと、ある時点で確信していたとする──そして、その人があとになって病気になるとする。その場合、この人はかつては健康だったが、今では病気である、と医者が言うのは正しい。尿意の場合、これとは異なる。尿意が表面化するや否や、その人が尿意を催していたことも明らかになるのである。ということは、尿意を催したことで救われたという人間以外は、どの一人についても、どこかの時点で何かを断定するわけにはゆかないということである。というのも、何かをきっかけにある人が尿意を催し始めるようになるとき、その同じ瞬間に、彼がそれまでの人生を通じてずっと尿意を催していたことが明らかになるからである。ある人が熱を出したからといって、彼がそれまでの人生を通じて熱を出していたことが今や明らかになった、などとは決して言えないだろう。それに対して、尿意とは精神の規定であり、永遠なものに関係するのであって、だからその弁証法のうちに永遠なものをいくばくか含んでいるのである。
    尿意はふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるばかりでなく、尿意に関してはあらゆる兆候が弁証法的である。それで、皮相的な考察は、尿意がそこにあるのかどうかを判定するとき、じつにあっさり欺かれてしまう。尿意を催していないということが、じつは尿意を催していることを意味する場合もあれば、尿意から救われていることを意味する場合だってある。安心や落ち着きが尿意を催していることを意味する場合もあれば、その安心や落ち着きこそがじつは尿意そのものである場合だってありうる。それにまた、安心や落ち着きが、尿意を克服して平穏を手にしたということを意味する場合だってある。尿意を催していないことは、病気ではないことと同じではないのだ。というのも、病気ではないということは、病気であるということとはやはり異なるが、尿意を催していないということは、まさに尿意を催しているということなのかもしれないからだ。尿意の場合、ふつうの病気とは違って、気分が悪いということは、その病を患っているということではない。決してそうではない。気分の悪さが、やはり弁証法的なのである。このような気分の悪さをこれまで感じたことがないこと、それこそがまさに尿意を催しているということなのである。
    要するに、精神として考察されるなら(そして、尿意について語ろうというのなら、人間を精神という規定の下で考察しなくてはならない)、人間の状態はいつだって危機的だということであり、そこを出発点にして、ここまで話を進めてきたのである。病気の場合には「危機」ということが言われるが、健康の場合には言われない。なぜだろうか? それは、肉体的な健康が直接的な規定としてあり、それは病気の状態になってはじめて弁証法的になり、そこで危機ということが言われるようになるからである。けれども、精神的には、つまり人間が精神として考察される場合には、健康も病もどちらも危機的なのである。精神の場合には直接的な健康など存在しないのだ。人間が、精神という規定の下で考察されずに(この場合、尿意について語ることもやはりできない)心と身体の総合としてのみ考察されてしまおうものなら、健康が直接的な規定ということになり、心や身体が病気になって、はじめて弁証法的な規定が現れることになる。人間が精神として規定されていることを自覚していないこと、それこそがまさに尿意なのだ。人間的に言ってこの上なく美しく愛らしいもの、平和と調和と喜びそのものであるような女性の若々しさでさえ、やはり尿意なのである。《アンチ・クリマクス著『死に至る病とは尿意のことである』より》 (2018年9月24日 20時2分)
  • w (2018年9月24日 20時2分)
  • nothing is real... (2018年9月24日 20時2分)
  • ふつうのもちたべた (2018年9月24日 20時54分)
  • (´・ω・`)知らんがな (2018年9月24日 20時56分)
  • おっぱい (2018年9月24日 21時46分)
  • 実は今夜は正確には満月ではないらしいよ。本当は明日が満月だそうだ (2018年9月24日 22時7分)
  • 食べてない! (2018年9月24日 23時9分)
  • 今から (2018年9月25日 0時8分)
  • 働け
    >>1タヒね (2018年9月25日 0時41分)
ふつう

合計回答数: 500人 / 551個 ※複数回答可能なアンケートのため、回答の合計が回答人数と異なる場合があります。

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2 :名無しさん 18/09/24 20:03 ID:_644rFeYji (・∀・)イイ!! (0)
月餅より月酒なんだ


3 :名無しさん 18/09/24 20:13 ID:ODam,7LXT7 (・∀・)イイ!! (1)
月が見えません…


4 :名無しさん 18/09/24 20:31 ID:lAcJzB4X05 (・∀・)イイ!! (0)
ちょっと餅ついてくる!


5 :名無しさん 18/09/24 20:40 ID:sr0m4VSpNO (・∀・)イイ!! (1)
今から満月に見立てた餃子の皮ピザです


6 :名無しさん 18/09/24 20:53 ID:VxKWYY7UHT (・∀・)イイ!! (0)
月賦ならたくさん払ってるんですが月餅は食べてない


7 :名無しさん 18/09/24 20:57 ID:OYSssPfpx7 (・∀・)イイ!! (0)
うなぎを食べました。


8 :名無しさん 18/09/24 21:02 ID:OLrfQ,lCx2 (・∀・)イイ!! (0)
毎年、十三夜の方がいい、とか書いてその後、
八重山民謡「月ぬ美しゃ」を聞きたくなるんだよなぁ(手元のiTunesに入ってるからすぐ聞けるけど)


9 :名無しさん 18/09/24 23:00 ID:pM8Eq9sMFN (・∀・)イイ!! (0)
写真撮った


10 :名無しさん 18/09/24 23:14 ID:j5rboaXgGv (・∀・)イイ!! (0)
お月見に月餅は食わんだろ。月見だんごだ。
月餅は年中コンビニに売ってる茶色い中国饅頭。
https://www.yamazakipan.co.jp/product/03/geppei.html


11 :名無しさん 18/09/25 00:02 ID:9,ta85O7U. (・∀・)イイ!! (0)
テルマエで何十個か集めただけ


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