151 :名無しさん 09/11/25 01:32 ID:3nP2Ytc07i (・∀・)イイ!! (2)
>>69>>124

・1914年末、今はなきオスマン帝国の東部で1人の男が飢えていた。
折しも夏に始まった、後に第一次世界大戦と証される大戦の影響で男は
職を失い飢えていたのである。
 そこへ通りかかった少女(仮に少女Aと名付ける)はアルメニア人であり、
偏見もあり男と同じく飢えていた。
しかし、そのトルコ系の男を哀れに思い、たまたま持っていたパンを与えた。
 それから半年もしない同じ場所で男は職を得ていた、兵士として。
少女Aはアルメニア人として砂漠地帯へと移送されようとしていた。
 男は少女の運命を知っていたため、この後も生き残れるかどうかは分からなかったが
少女Aだけを逃がした。結果として少女Aは後の二度目の大戦にも生き残ることが出来た。

・1936年夏、今日では第二次世界大戦の前哨戦であったといわれている内戦が
スペインであった。少女(仮に少女Bと名付ける)は、表向き人民戦線派ではあったが
特に政治的信条等の理由あったわけではなく、文字通り色々な意味
(少女Bの個人的は素性は置いておくが、医療関係者・聖職者・教育者・文化人の何れかだと思えば理解されると思う)
でフランコの側にも協力した。無論、パンも含めた食料もその中には含まれていた。
無論、少女Bの分け隔てのない行動は、後のインド独立の指導者語る「真理」
(ここでの意味は真理=神ではない)
によるものと同等ではあったが、少女Aの話を含め教訓として少女B自身の保身のためで
あることは少女B自身もよく理解出来ていた。
 少女Bもまた、二度目の大戦の終結をその目で見届け、そして人類が月に行ったことをTVで知ることが出来た。

・1989年、彼女は軟禁された(仮に少女Cと名付ける)。
極東亜細亜で後に映像の世紀と名付けられる20世紀初頭、いやその少し前から
同じ状況であればその政府が寛大であればだが、取り図られる提案が少女C
にも与えられた。いわく、国外退去である。
 少女Bの表向き関わっていた人民戦線もメキシコで1976年までは存在していた亡命政府として。
今日でも同様の亡命政府は各地で見られる。それが機能しているのか、亡命政府から
また正式な政府として復活出来るのかは別として。
 だが、少女Cは断った。理由は正確には分からない。
西暦の始め頃に生まれたとされる宗教指導者の「人はパン〜」に当てはめた心情か
あるいはその他なのか。

只、彼女は問いかける少女Aに
「なぜ男も少女A自身も飢えていたのを考えなかったのか?」
少女Bに
「なぜどちらにもつかずに保身に走ったのか」と。

少女Aが反論する
「私にどうしろと?私には時代の流れに逆らう方法もその力もなかった」と。

少女Cは今までの心の中のやり取り同様、反論しない心の中のBは考えないようにこう語る。
「それは欺瞞。本当は自分に出来たことがある筈なのに、それを考えなかっただけ」と。

第三次世界大戦の前哨戦と揶揄されたベトナムでの戦争も終わり、
二度目の大戦で出来たドイツの壁も崩れ、アメリカのある意味象徴となっていた
双子のビルが倒壊してからも久しいが彼女、少女Cはまだそこに留まっている……。


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