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- 2 :名無しさん 26/04/20 18:05 ID:xyovmGuBx6
(・∀・)イイ!! (0) - 性ッ、性ッ!
- 3 :名無しさん 26/04/20 18:40 ID:RUWpYqedeA
(・∀・)イイ!! (0) - とんぼー
おまえの愛の火はまだ
燃えているかい?
- 4 :名無しさん 26/04/20 19:16 ID:nv9p8OV1YT
(・∀・)イイ!! (0) - 果てしない〜
夢を追い続け〜♪
- 5 :名無しさん 26/04/20 19:21 ID:O5e2-noFsQ
(・∀・)イイ!! (0) - 長渕剛の「とんぼ」は、1988年10月26日発売のシングルで、長渕自身が主演したTBS系ドラマ『とんぼ』の主題歌として強い印象を残した作品である。東京へ上り、傷つき、それでもなお生きていく男の姿を、昭和の終わりへ向かう空気の中に焼きつけた歌だといえる。公式ディスコグラフィーでも1988年10月26日発売とされ、TBS側の案内でも1988年放送のドラマ『とんぼ』と主題歌「とんぼ」の結びつきが確認できる。
冒頭の「アスファルトに刻む足音」は、この曲全体の感触を決める。柔らかい土ではなく、冷たく硬い都市の地面を、ひとりで踏みしめていく音である。そこに続く「俺は俺で在り続けたい」は、単なる気合や反骨ではない。周囲に合わせて丸く収まるよりも、自分の輪郭が削られることのほうを恐れている、そんな切実さがある。さらに「裏腹な心たち」「やりきれない夜」「のがれられない闇」と畳みかけることで、外から見える都会のきらびやかさと、内側でこじれていく感情の差が鮮明になる。これは、六本木や新宿のネオンに憧れた者が、実際には東京の冷たさに打たれていく、その痛みの記憶そのものだ。
次の一節、「死にたいくらいに憧れた花の都“大東京”」は、この曲の核心のひとつである。憧れは本物だった。だからこそ裏切られた痛みも深い。「薄っぺらのボストン・バッグ」には、重い荷物ではなく、ほとんど何も持たずに北へ向かった若者の身軽さと無力さが同時にある。上野駅、東京駅、新宿駅の雑踏を抜けて、あるいは夜汽車やヒッチハイクで、ただ夢だけを抱えて来た人間の姿が浮かぶ。続く「ざらついたにがい砂」は、都会の現実に噛みついた舌の感触のようでもあり、そこで「ねじふせられた正直さ」が、遅れて骨身にしみてくるという言い方には、若さの自負が折れたあとにしか見えない真実がある。
- 6 :名無しさん 26/04/20 19:21 ID:O5e2-noFsQ
(・∀・)イイ!! (0) - サビの「ああ しあわせのとんぼよ どこへ」「お前はどこへ飛んで行く」「舌を出して笑ってらあ」は、答えを出す歌ではない。むしろ、つかまえようとした幸福が、すぐ手の届かないところへ逃げていく感覚を、そのまま空に放っている。とんぼは日本では前へしか進まない「勝ち虫」とも言われるが、この歌のとんぼは勝者ではない。追いかけても追いつけず、それでも目の前で軽やかに飛ぶ、あの気まぐれな幸福そのものだ。
後半の「明日からまた冬の風が横っつらを吹き抜けて行く」は、人生が甘くないことを、季節の感触で言い切っている。「それでもおめおめと生きぬく俺を恥らう」という一節には、みっともなさを知り尽くした人間だけが持てる、奇妙な矜持がある。そして「この街を愛し そしてこの街を憎んだ」は、東京に対する感情が単純な憧れでも怨みでもなく、愛憎がねじれた複雑なものだと告白する。
最後の「東京のバカヤロー」「ケツの座りの悪い都会」「憤りの酒」「半端な俺」という語の連なりは、成功者の賛歌ではなく、居場所を持てない者の独白である。だからこそ、この歌は、バブル前夜の光り方を知っている世代ほど胸に刺さる。六本木、銀座、渋谷、新宿、そうした地名のまぶしさを一度は信じた人ほど、なおさら「とんぼ」の軽さと哀しさを、自分の昔の呼吸のように思い出してしまう。
「とんぼ」は、華やかなバブルの光の中で、その裏側にあった無数の影をすくい上げた歌である。それは決して過去の記録ではない。むしろ、あの時代を生きた私たちの内部に、今もなお残り続ける感覚の再生装置なのだ。街の灯りの下で、何者にもなれなかった自分を抱えたまま、それでも歩き続けたあの日々。その記憶が、この歌を聴くたびに、静かに、しかし確かに蘇ってくるのである。
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