クリップボードには何も入っていません / このアンケートをクリップする / クリア
2018年1月8日 22時12分終了#107661 [心と体] 移植手術

ID:7-N-F,ZUJU (・∀・)イイ!! (6)

例えば
腎臓移植が必要な親に、成人した子供が
自分の腎臓を提供し、移植手術をする

数年、十数年、数十年後、親が死んだときに
移植した自分の腎臓を、戻す移植手術って可能なの?
教えてエロい人!エロく無い人!

1(´・ω・`)知らんがな177(35.4%)
3可能*36(7.2%)
4(´・ω・`)むりぽ*31(6.2%)
5(´・ω・`どないやろ*67(13.4%)
6働け*63(12.6%)
7モリタポ*131(26.2%)
8thx*7(1.4%)
9死ね*10(2%)
10JR貨物*8(1.6%)
11そうなんだ、じゃあ私生徒会行くね。*26(5.2%)
12不可能*6(1.2%)
13ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール*5(1%)
2その他38(7.6%)
無視0

棒グラフまたは左の番号をクリックするとその項目を元にしたしっかりアンケートが作れます。
*がついている選択肢は「その他」の重複から自動的に追加されたものです。

多い順に並べる

簡略表示

この円グラフをブログに貼れます→

「その他」の内容

  • 任侠団体山口組 (2018年1月8日 12時25分)
  • 戻るところがすでに無しで (2018年1月8日 12時26分)
  • モリタポ (2018年1月8日 12時29分)
  • m (2018年1月8日 12時33分)
  • 可能かのう (2018年1月8日 12時37分)
  • おう (2018年1月8日 12時39分)
  • (1モリタポ) (2018年1月8日 12時42分)
  • gh (2018年1月8日 12時43分)
  • w (2018年1月8日 12時43分)
  • w (2018年1月8日 12時46分)
  • モリギフ頂けませんでしょうか (2018年1月8日 12時52分)
  • 戻そうと思えば戻せる (2018年1月8日 12時52分)
  • さあ? (2018年1月8日 13時0分)
  • どうかな (2018年1月8日 13時16分)
  • wtwz4etw4etwe4t (2018年1月8日 13時23分)
  • 子が移植が必要な症状で、親の状態が移植に適しているなら、可能なんじゃないの。 (2018年1月8日 13時33分)
  • ポポの唾液でコーヒー入れたい (2018年1月8日 13時36分)
  • 知らんがな(´・ω・`) (2018年1月8日 13時38分)
  • おっぱい (2018年1月8日 14時12分)
  • その腎臓に何も問題がなければ。 (2018年1月8日 14時27分)
  • 無理だ死ね (2018年1月8日 14時47分)
  • こまけぇこたぁいいんだよ! (2018年1月8日 14時48分)
  • \\_\\_\\_-\\_\\_-\\_\\_\\_\\_- (2018年1月8日 14時55分)
  • 心理学者は、尿意とは何かを知っており、尿意を見極める。だから、心理学者は、自分は尿意を催していないとか、自分は尿意を催しているとかいった自己申告では満足しない。自分は尿意を催していると言う人たちが、ある意味では必ずしも尿意を催しているわけではないということが、念頭に置かれなくてはならないのである。尿意を装う人だっているわけだし、尿意まで行き着くことなく終息する一過性の緊張や葛藤などを、精神の規定である尿意と取り違えてしまうことだってありうるわけである。その一方で、心理学者は、そうした状態をやはり尿意の諸形態とも見なす。心理学者は、そうした状態が偽装であることを──そして、この偽装こそがまさに尿意であることを──よく心得ている。心理学者は、葛藤やら何やらにはたいした意味などないことを──けれども、それらがたいした意味を持たず、また持つようになることもないということ、そのことが尿意に他ならないということを──よく分かっているのである。
    通俗的な考察は、そればかりか、尿意とは精神の病なので、ふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるという点も見落としてしまっている。この弁証法が正しく理解されるなら、さらに何千もの人が、尿意という範疇に入れられることになる。医者が、ある人が健康だと、ある時点で確信していたとする──そして、その人があとになって病気になるとする。その場合、この人はかつては健康だったが、今では病気である、と医者が言うのは正しい。尿意の場合、これとは異なる。尿意が表面化するや否や、その人が尿意を催していたことも明らかになるのである。ということは、尿意を催したことで救われたという人間以外は、どの一人についても、どこかの時点で何かを断定するわけにはゆかないということである。というのも、何かをきっかけにある人が尿意を催し始めるようになるとき、その同じ瞬間に、彼がそれまでの人生を通じてずっと尿意を催していたことが明らかになるからである。ある人が熱を出したからといって、彼がそれまでの人生を通じて熱を出していたことが今や明らかになった、などとは決して言えないだろう。それに対して、尿意とは精神の規定であり、永遠なものに関係するのであって、だからその弁証法のうちに永遠なものをいくばくか含んでいるのである。
    尿意はふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるばかりでなく、尿意に関してはあらゆる兆候が弁証法的である。それで、皮相的な考察は、尿意がそこにあるのかどうかを判定するとき、じつにあっさり欺かれてしまう。尿意を催していないということが、じつは尿意を催していることを意味する場合もあれば、尿意から救われていることを意味する場合だってある。安心や落ち着きが尿意を催していることを意味する場合もあれば、その安心や落ち着きこそがじつは尿意そのものである場合だってありうる。それにまた、安心や落ち着きが、尿意を克服して平穏を手にしたということを意味する場合だってある。尿意を催していないことは、病気ではないことと同じではないのだ。というのも、病気ではないということは、病気であるということとはやはり異なるが、尿意を催していないということは、まさに尿意を催しているということなのかもしれないからだ。尿意の場合、ふつうの病気とは違って、気分が悪いということは、その病を患っているということではない。決してそうではない。気分の悪さが、やはり弁証法的なのである。このような気分の悪さをこれまで感じたことがないこと、それこそがまさに尿意を催しているということなのである。
    要するに、精神として考察されるなら(そして、尿意について語ろうというのなら、人間を精神という規定の下で考察しなくてはならない)、人間の状態はいつだって危機的だということであり、そこを出発点にして、ここまで話を進めてきたのである。病気の場合には「危機」ということが言われるが、健康の場合には言われない。なぜだろうか? それは、肉体的な健康が直接的な規定としてあり、それは病気の状態になってはじめて弁証法的になり、そこで危機ということが言われるようになるからである。けれども、精神的には、つまり人間が精神として考察される場合には、健康も病もどちらも危機的なのである。精神の場合には直接的な健康など存在しないのだ。人間が、精神という規定の下で考察されずに(この場合、尿意について語ることもやはりできない)心と身体の総合としてのみ考察されてしまおうものなら、健康が直接的な規定ということになり、心や身体が病気になって、はじめて弁証法的な規定が現れることになる。人間が精神として規定されていることを自覚していないこと、それこそがまさに尿意なのだ。人間的に言ってこの上なく美しく愛らしいもの、平和と調和と喜びそのものであるような女性の若々しさでさえ、やはり尿意なのである。《アンチ・クリマクス著『死に至る病とは尿意のことである』より》 (2018年1月8日 15時27分)
  • 「どないやろ」ワロタ (2018年1月8日 16時40分)
  • 知らんがな (2018年1月8日 16時48分)
  • 働け
    働け
    働け
    働け  (2018年1月8日 17時23分)
  • わがんね。 (2018年1月8日 17時41分)
  • >>1タヒね (2018年1月8日 18時0分)
  • ks (2018年1月8日 18時2分)
  • a (2018年1月8日 18時13分)
  • 任意 (2018年1月8日 18時18分)
  • anke.mataomaeka@gmail.com (2018年1月8日 18時28分)
  • (´・ω・`)知らんがな (2018年1月8日 18時39分)
  • は? (2018年1月8日 19時0分)
  • うん。 (2018年1月8日 19時6分)
  • またお前か (2018年1月8日 20時44分)
  • - (2018年1月8日 21時58分)
&# ;&# ; ( ) w ? 状態 `)

合計回答数: 500人 / 605個 ※複数回答可能なアンケートのため、回答の合計が回答人数と異なる場合があります。

このアンケートと年齢性別出身都道府県居住都道府県でのクロス集計を見る

このアンケートへは現在トラックバックできません。

2 :名無しさん 18/01/08 12:25 ID:Y-HtAgEE56 (・∀・)イイ!! (1)
レンタル臓器^^


3 :名無しさん 18/01/08 12:47 ID:do0XzfavfB (・∀・)イイ!! (2)
死因によるんじゃ?
数十年使用した臓器返してもらっても役に立つのか?


4 :名無しさん 18/01/08 12:51 ID:hNMHUBE7kA (・∀・)イイ!! (1)
手術だって100%安全ではないし
リスクを考えるとそのままの方がいいって感じかも


5 :名無しさん 18/01/08 13:21 ID:TObOk..X.m (・∀・)イイ!! (1)
兄貴が腎臓一個取っちゃってるんだが
それでも身体に悪い自堕落な生活続けてるので
もう一個が調子悪くなっても絶対に提供はしないと固く決心してる


6 :名無しさん 18/01/08 14:29 ID:rN3xp71A_Q (・∀・)イイ!! (0)
そこでIPS細胞の出番です


7 :名無しさん 18/01/08 14:44 ID:-8jwtjEePq (・∀・)イイ!! (1)
もし返して貰っても親にあげる前の二個の状態に体が戻れるかどうかよるんじゃない?


8 :名無しさん 18/01/08 14:53 ID:4Ze8o-P-zi (・∀・)イイ!! (0)
考えた事なかった。


9 :名無しさん 18/01/08 14:56 ID:qFGn-T3hAW (・∀・)イイ!! (5)
おまえは考えるだけ無駄


10 :名無しさん 18/01/08 15:04 ID:zDIepo9,3V (・∀・)イイ!! (0)
これから長く生きる子の臓器を、余命短い親に移植するってのは
どうにも違和感がある。

病気が遺伝してたら、臓器少なくなってる子は死ぬしかないやん・・・


11 :名無しさん 18/01/08 16:09 ID:Qp_wj-qQLZ (・∀・)イイ!! (2)
働け


12 :名無しさん 18/01/08 16:19 ID:a.SMzEmr4c (・∀・)イイ!! (1)
戻せるかどうかは知らんけど
たとえ出来るとしても
また腎臓移植するリスクの方が大きいような気がする
そもそも腎臓は2個あるんだから1つあげても大丈夫って聞くし戻す必要ないでしょ


13 :名無しさん 18/01/08 16:51 ID:J-2.7UYrQk (・∀・)イイ!! (1)
輸血経験がある人は献血できないように
たとえもともと自分の臓器だったとしても、
移植された経験がある人はドナーになれないと思う。
あくまで国内の法にのっとればの話だから、
海外に行くとかだと技術的には可能かもしれん。


14 :名無しさん 18/01/08 20:46 ID:Rzp_dcK8DN (・∀・)イイ!! (0)
またお前か


板に戻る 全部 前100 最新50

このスレへの書き込みにはログインが必要です。
削除ガイドライン違反報告はこちら
このアンケートの2ちゃんねる互換リンク→http://find.moritapo.jp/enq/test/read.cgi/11/1515381682/