2 :名無しさん 23/10/09 17:32 ID:JwwaKMUz9P (・∀・)イイ!! (0)
参考文献
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2479_9658.html


3 :名無しさん 23/10/09 17:51 ID:YrSUlJ9c7, (・∀・)イイ!! (1)
長いって


4 :名無しさん 23/10/09 18:08 ID:Jv8wDt6rF7 (・∀・)イイ!! (1)
尿意語に訳してください


5 :名無しさん 23/10/09 18:11 ID:3ubhFEkkK9 (・∀・)イイ!! (1)
70日間入院してはじめの30日は尿管を通して小便は自然にベッドわきの袋にたまる仕組みだった。
この間はいくら水を飲んでも尿意を我慢することなく便所に走ることもなく、こんな快適な生活はなかった。
怪我の痛みは別にして。今でも尿袋ぶら下げて尿意を気にしない生活を夢見ることがある。


6 :名無しさん 23/10/09 18:15 ID:z,eg7GOP22 (・∀・)イイ!! (1)
珈琲………琥珀色の液体…( ゚д゚)つまり尿?!珈琲は尿意我慢に通じる飲み物だったのか!


7 :名無しさん 23/10/09 18:48 ID:vPabYwU,zh (・∀・)イイ!! (1)
膀胱炎になりそう


8 :名無しさん 23/10/09 18:58 ID:FHbwQzV5He (・∀・)イイ!! (1)
もうさ、尿意エネルギーで発電したら良いと思うよ


9 :名無しさん 23/10/09 19:04 ID:VtG6HVV1Fk (・∀・)イイ!! (1)
>尿意我慢で興奮する者がいる

近くに、それを見て興奮する奴がいなかったか?


10 :名無しさん 23/10/09 19:22 ID:ZQh7FPqEJ2 (・∀・)イイ!! (1)
また振り子フリオか


11 :名無しさん 23/10/09 23:29 ID:vItDvGygE_ (・∀・)イイ!! (0)
 芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての
 顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときに
 はじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、
 そういう意味から言えば自分にとっては
 尿意をほんの少し我慢することは自分のための哲学であり
 宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない。

 これによって自分の本然の仕事がいくぶんでも能率を上げることができれば、
 少なくも自身にとっては下手な芸術や半熟の哲学や
 生ぬるい宗教よりもプラグマティックなものである。
 ただあまりに安価で外聞の悪い意地のきたない原動力ではないか
 と言われればそのとおりである。
 しかしこういうものもあってもいいかもしれないというまでなのである。

 宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。
 そうして、尿意我慢の効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点で
 いくらか哲学に似ているとも考えられる。

 酒や宗教で人を殺すものは多いが
 尿意や哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。
 前者は信仰的主観的であるが、後者は懐疑的客観的だからかもしれない。


12 :名無しさん 23/10/10 19:01 ID:W5IFZyNe3d (・∀・)イイ!! (1)
>>6
血尿の疑い 最寄りの泌尿器科へ


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