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明日 0時8分終了(残り0時間16分)#124446 [文化] ほんとは怖いお狐様[未回答→回答する]

ID:SFQDrzyrjb (・∀・)イイ!! (4)

稲荷神社は、五穀豊穣や商売繁盛のご利益があるとされ、はっきりした目的に向かって自ら努力している人へ強い力を与えてくれるとされています。
一方、自分では努力せずに神頼みする人や、たまたま上手くいったとしても感謝しない人、「そんなの迷信だろ」とか「バエるスポットだ」などとひやっしで参拝する人などには「相性が悪く」場合によっては神罰がある場合もあると言われます。

あなたは、お稲荷様と相性が良いタイプだと思いますか?

選択肢: 1:相性良い 2:相性悪い 3:わからない 4:なにそれ怖い 5:そんなの迷信だ 6:稲荷神社って何? 7:なんのことやらさっぱり 8:モタリポ

合計回答数: 224人 / 224個

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2 :名無しさん 26/06/21 08:26 ID:U-r06p4Ui, (・∀・)イイ!! (0)
今回の>>1の設問文には、実際の稲荷信仰や民間伝承にある程度沿っている部分と、かなり一般化しすぎている部分が混ざっています。

まず、「稲荷神社は五穀豊穣や商売繁盛のご利益がある」という部分は、おおむね妥当です。稲荷信仰は本来、農耕、特に稲作と深く結びついた信仰で、五穀豊穣、家内安全、産業繁栄、商売繁盛などが広く祈願されてきました。現在では、農業だけでなく商工業全般、さらには受験や芸能、職場運など、さまざまな「現世利益」と結びつけて信仰されることがあります。この意味では、稲荷神社を「努力や実利と結びついた祈りの場」と見るのは、民間的な理解としては十分に自然です。

ただし、次の「はっきりした目的に向かって自ら努力している人へ強い力を与えてくれる」という言い方は、少し踏み込みすぎています。これは稲荷信仰の中で語られることのある感覚、つまり「願いを持ち、真面目に励む人を後押しする」というイメージをうまく言語化したものではありますが、神社本来の公的な教義として「努力する者だけに強い力を与える」と明文化されているわけではありません。神道はキリスト教や仏教の一部宗派のような中央集権的教義体系を持つ宗教ではなく、各神社、各地域、各時代の信仰の積み重ねで成り立っています。そのため、「こういう人にはご利益が強い」といった語りは、信者や参拝者の体験談、あるいは信仰共同体の感覚としては成立する一方、普遍的な教義とは言い切れません。

さらに、「自分では努力せずに神頼みする人」についてですが、これも一部の信仰感覚としては理解できます。日本の神仏への向き合い方には、単に願うだけではなく、心を整え、行いを正し、感謝を忘れないことが大切だという発想が強くあります。したがって、何の行動も伴わずに結果だけを求める姿勢は、信仰的には好ましくないと受け取られやすいのは確かです。ただし、それをもって「稲荷神社は努力しない人に罰を与える」とまで断定するのは、かなり強い表現です。多くの神社や信仰者は、そんなふうに機械的・懲罰的に神意を捉えてはいません。むしろ、「祈るだけでなく、自分も動くことが大事」という道徳的な助言として理解する方が自然です。


3 :名無しさん 26/06/21 08:26 ID:U-r06p4Ui, (・∀・)イイ!! (0)
「たまたま上手くいったとしても感謝しない人」に関しては、信仰上は確かに否定的に見られやすいでしょう。日本の伝統的な感覚では、願いが叶った後にお礼参りをする、感謝を形にする、という振る舞いは重視されます。これは稲荷に限りません。ただ、ここでも「感謝しないと神罰がある」と一律に言うのは慎重であるべきです。感謝を欠くことが、その人の心のあり方として未熟だとか、信仰上望ましくない、という意味では語れても、それが直ちに超自然的な罰として現れるとまでは、外から検証できません。実際には、信仰者自身が「罰が当たった」と解釈する事後的な意味づけが加わる場合も多いでしょう。

もっと問題なのは、「そんなの迷信だろ」「バエるスポットだ」などとひやかして参拝する人には相性が悪く、場合によっては神罰がある」という部分です。ここには、信仰共同体内部で起こりやすい「敬意の有無」に関する価値判断がよく表れています。たしかに、神社を単なる観光地や撮影スポットとしてのみ扱い、宗教的・文化的な敬意を欠く態度は、参拝者や氏子、地域の人々から反感を買いやすいです。神社側も、境内でのマナーや撮影の節度を求めることがあります。そのため、「ふざけた気持ちで入るとよくない」という感覚自体は、信仰実践の場としては十分に理解できます。

しかし、それを「神罰がある」とまで一般論として述べるのは、かなり強い民間信仰的表現です。神罰という概念自体は日本の宗教文化に存在しますが、何をもって神罰とするかは曖昧で、科学的・客観的に立証できる類のものではありません。加えて、現代の多くの神職や神社関係者は、参拝者を脅すような形で「罰」を強調することはあまりしません。むしろ、祀られる神への敬意、静かな心、感謝の気持ちを大切にしてほしい、という方向で説明することが多いはずです。したがって、「神罰がある」という文言は、信仰的警句としてはあり得ても、事実として断定できるものではありません。


4 :名無しさん 26/06/21 08:26 ID:U-r06p4Ui, (・∀・)イイ!! (0)
今回の設問文は、稲荷信仰にまとわりつく民間的なイメージ――「現世利益に強い」「真面目な人に応える」「軽んじるとよくない」――をかなり濃く言い表したものです。その意味では、信仰感情の表現としては理解できます。ただし、内容を厳密に検討すると、次の三点で注意が必要です。第一に、「稲荷神社全般の公式見解」ではなく、あくまで俗信や体験談の混合であること。第二に、「努力する人に力を与える」「不敬な人に罰がある」という因果は、宗教的解釈であって検証可能な事実ではないこと。第三に、稲荷信仰は一枚岩ではなく、地域や神社、祭神理解によって受け止め方が違うことです。

設問文の当否を一言で言えば、「稲荷信仰の一部として共有される感覚をうまく言い表してはいるが、一般論として事実認定するには誇張があり、神罰まで含めた断定は不適切」です。宗教的な敬意や参拝作法の大切さを伝える文章としては成立しますが、学術的・客観的な説明としては、かなり民間伝承寄りで慎重さを欠く、というのが妥当な評価です。


5 :名無しさん 26/06/21 08:44 ID:B840Q78Zlr (・∀・)イイ!! (0)
相性良い寄りのわからない


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