- 16 :名無しさん 10/03/19 02:34 ID:N2kjRRLt0l (・∀・)イイ!! (2)
- これまで清国の伝統的な属国であったベトナムはフランスに横取されてしまったが、
残る伝統的属国の朝鮮は、もう誰にも渡すわけにはいかない。
(略)そこで、新疆や台湾のように、朝鮮も中国の属領から正式な領土にするため「朝鮮省」を設立し、
郡県制とする断行案を検討した。そうする事で、列強諸国に対して朝鮮は清国の絶対不可分で永久割譲の固有領土だとアピールした。
(略)なかでも有名なのは、科挙状元出身のエリートで、呉長慶の幕下に身を投じて、
積極的な対外政策を論じてきた張謇の「朝鮮善後六策」である。
1.漢の四郡建置の例に従ひ、朝鮮国王を廃し、其地を清の一省とする。
2.朝鮮国王を存置するとしても、周の例に従ひ、監国を置く。
3.有力なる軍隊を派遣して。其海港を清の監理の下に置く。
4.朝鮮の内政革新を断行する。
これ以外にも、張謇は「六策」で次のようなことを言っている。
「あるいは内政の自己改革と新軍の訓練を、我が東三省とつらねて、一気と為す」。
清国の東三省から朝鮮省をも含めて「東四省」とし、(略)張謇が提案した、清国が李朝国王を廃して監国にする、
つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前の早い時期にもあった。
明の太祖朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位だけを下賜あい、国王の地位を与えなかったのもそのためだ。
中国人からすれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部なのだ。
そもそも、朝鮮をつくったのは中国の箕子だと、中国人は主張するほどなのだから。
そのため、張謇の「朝鮮善後六策」のような考え方は、中国人の一般的な伝統的朝鮮属国観なのだ。
中国が中華民国になった近現代でも、この中国人の朝鮮版図観はたいして変わっていない。
たとえば、蒋介石は、太平洋戦争後の対日処理を協議した1943年11月のカイロ会議に出席した当時、
船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。もちろん、ルーズベルト大統領は、このとんでもない要求を拒んでいる。
朝鮮人も属国であることにマヒしているため、「朝鮮省」の設置をむしろ、「小中華」から「大中華」への昇格だと喜び、
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