2009年5月15日 17時21分終了#33018 [社会] 迷って弱って死んでしまったクジラ、食べてもいい? ID:9YA,eR9,jP
(・∀・)イイ!! (28)
世界中の動物愛護団体が
日本の捕鯨に対して非難を浴びせていますが、
弱って死んでしまったクジラ(自然死)は日本の法律で
食べてもよいらしいです。
今日もニュースで日本の湾に迷い込んだクジラがおり、
テリー伊藤さんは……
「死ぬ場合もある。そのとき、日本の法律では
食べてもいいことになっている。今後どうするのか。
埋める可能性もあるし、食べるという話にもなる。
そういう状況では、かわいそうととらえる必要も、僕はないと思う」
とコメントしたようです。
みなさんは、弱って死んだクジラを
食べてもいいと思いますか? それとも、
食べないで処分したほうが良いと思いますか?
1 | 食べてもいい | 1590 | (79.5%) |
2 | 食べずに処分 | 410 | (20.5%) |
無視 | 1 |  |
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- 257 :名無しさん 09/05/20 19:37 ID:rVdXcvKfXF
(・∀・)イイ!! (-2) - あなたの返答をありがとうございます。
私の遅い返答についてすみません。
私は Eurovision Song コンテスト2009 を見るために私の夫と友人たちと
一緒にモスクワに行きました.
おお、それは素晴らしかった。
不幸にも、我々のエントリーは第5番目の場所に到達しました。しかし今年の
勝利の歌はノルウェー人 Alexander Rybak(もう1つの商業捕鯨国!)の
エントリー。 彼の歌は素晴らしかったです。彼の歌はFairytale (おとぎ話?)と呼ばれた歌で彼は同じくバイオリンを弾きました。
http://www.youtube.com/watch?v=uiH4BFTELME
私はモモンジ屋をチェックして、そして日本である特定の共同体の中で、
人々が動物を食べた、しかしそれがそれほど広く広められなかったことを
知りました。そして人々が動物タンパク質のために主に魚を食べたことを
知りました。。 私は同じく普通の日本人がご飯を食べることを許され
なかった、しかしその代わりに雑穀を食べなければならなかった, 麻と
コットンの他のものを身につけてはならなかったことを知りました。
私は、上流階級の日本人が、もし肉を食べたなら、彼らが汚くなるであろう
と信じたから、同じく肉を食べなかったことを知りました。私は同じく
明治時代の始まりに、日本の一般大衆から肉を食べることに対して、
大規模な抵抗があったことを知りました。同じく日本の歴史に専門的な
私の友人は若干の人々が彼らが良くない外国の影響と見なした新しい肉を
食べる文化に対して抗議し宮殿に押し入った事件があったと言いました。
(彼は 裕仁天皇の父親 - 同じく皇帝であった - が 議会の開会で
ジョージ3世のように 彼の不当な健康のために 同じく こっけいに
振る舞った事件 について 私に話しました。)
私は同じく鯨を食べることが日本のある特定の部分に限定されていた、
そしてこの習慣が同様近代まで広範に広められなかったことを知りました。
- 258 :名無しさん 09/05/20 19:41 ID:rVdXcvKfXF
(・∀・)イイ!! (-3) - 動物と魂に関して
主流なクリスチャン神学は 動物が魂(精神?)を所有することを否定します。
このために、 動物が洗礼を施されることができません。そして、動物は
キリスト教の儀式に従って埋葬されることができません。
もしカンタベリー大司教、ローマの司教とコンスタンチノープルの総大司教が
あなたの理論あるいはあなたのキリスト教の神学と動物の魂(精神?)について
聞いたなら、彼らは非常に驚くであろう。たいていのクリスチャンの宗派が
特殊な動物保護の運動に関係していません。
この理由で、動物がまだ多くの科学的な研究目的のために使われます。
この理由で、ハンティンドン生命科学はいずれかの狂信動物保護団体によって
攻撃されました。
すべての殺すことは間違っている(動物を含めて)と 信じる狂信の人々
(ザ・スミスのモリッシーなど)が西洋に存在します。
しかしながら、彼らの信念は伝統的なキリスト教の考えによって影響を
与えられず、ヒンズー教, ハリー・クリシュナなどと仏教によって影響を
与えられます。
この理由で、大多数の動物保護運動員は無神論者あるいは仏教(禅) に
転向した人々です。多くが絶対菜食主義者, 菜食主義者であって、そして
多くの豆腐を食べます。
ジャイナ教に関して
ジャイナ教はすべての生きている魂を潜在的に神であると見なします。
この理由で、彼らは完全な菜食主義者です。伝統的に、彼らは日没の後に
食べません。なぜなら 彼らは 彼らの食物と共に 小さい昆虫を 吸い込む
かもしれませんから。 (彼らは昆虫を殺すことは間違っていると信じます。) ジャイナ教司祭は口の上にマスクをつけています。
(より小さい昆虫を吸入しないように。)
そして、彼らが歩くとき、彼らは、小さい昆虫の上に立たないであろうために
道を掃きます。
私は無神論者です、そして私は同様人間の魂を信じません。私は我々人間は
単なる器官の収集である、そして死後の生活がないと信じます。
…省略されました。全部(2,137文字)読むにはココをクリック。
- 259 :名無しさん 09/05/20 20:37 ID:bp,IXRKRxj
(・∀・)イイ!! (5) - 日本人は食べ物ひとつひとつに神が宿っていると信じてきました。
神が穀物や魚、鳥、野菜等に宿っていると。
最近の日本では、そう思う若者が減ってきました。(私は一応10代ですが)
神、とまではいかないものの、魚や肉や野菜のひとつひとつはもともと命があったものと思い、
その命に感謝し、手を合わせ「(あなたの命を)いただきます」と言い食べています。
あなたの命があったからこそ私は今日も生きていける…そのことに感謝します、と。
鯨を殺し鯨を食べるのも、ジャイナ教の人々が野菜を殺し食べるのも、
同じ事だという事理解し、私たちの文化を理解して下さい。
私は虫を殺すのが恐いです。
一寸の虫にも五分の魂。その虫の命を食べもしないのに奪うのが恐いのです。
ですがその虫達の尊い命を殺し、我々人間はその犠牲のもとに生きています。
虫だけじゃない。動物や木、草、果ては人間までもを犠牲にして。
座っている椅子、寝るためのベッド、着ている服…どうですか?
材料は何ですか?
もしかして、アジア人を安い値段で雇いこき使って作られたものではありませんか?
残りわずかな石油を原料にしていませんか?
一度破壊してしまったら中々元に戻らない森林を、破壊して作られたものではありませんか?
あなたが、もしくはあなた方が、
もう少し視野を広げて物事を判断できるように願っております。
私はまだ高校生ですが、大学に入り農業を学び、
発展途上国での農業支援やアマゾンでの森林再生のボランティアを行うのが夢です。
その地で、考え方を改めたあなたに出会えることを望んでいます。
そして、あなたの書き込みが盛大な釣りでは無いことを心から願っております(Emってイーモ●イル?と思ったので/苦笑)
長々と失礼しました。
Emさんと思われる>>257>>258へ。
- 260 :名無しさん 09/05/20 20:51 ID:ENSq7aBHEw
(・∀・)イイ!! (1) - >>259
同感ですね。
最近の日本では、そう思う若者が減ってきましたというのも確かにそうだと思います。
僕は消防ですが、友達にそのようなこと言ってる人はいません
何か生物を殺さないと生きていけないんだから仕方なく殺す。
だから虫を殺すのはかわいそうというのは言えますね。
要は、生きるために必要ないのに生物を殺すのはいけないんだと思います
だから迷い込んで死んだクジラは食べてもいいと思います。
クジラだって埋められることになって迷惑かけるより
食べられて役に立ったほうがいいと思います理由はどうにしろ、しんでしまっている
のだからそれを資源として活かしてあげないとそっちのほうがかわいそうだと思います。
- 261 :名無しさん 09/05/21 17:59 ID:XKlC0bCJB0
(・∀・)イイ!! (-2) - Dear 259
E: あなたの返答をありがとうございます。
Y:日本人は食べ物ひとつひとつに神が宿っていると信じてきました。
神が穀物や魚、鳥、野菜等に宿っていると。
E: はい、私は 神道を 古代ギリシャの、そしてローマの神話とヒンズー教と
同じく ジャイナ教と同じ多神教と理解します。
Y:最近の日本では、そう思う若者が減ってきました。(私は一応10代ですが)
神、とまではいかないものの、魚や肉や野菜のひとつひとつはもともと命があったものと思い、
E: はい、どんな生きものでも否定し難い生命を持っています。これは単なる
信念ではなく、科学的な真実です。
Y:その命に感謝し、手を合わせ「(あなたの命を)いただきます」と言い食べています。
あなたの命があったからこそ私は今日も生きていける…そのことに感謝します、と。
E: おお。 しかしながら、それは奇妙な信念です。もし あなたが 菜食主義者
あるいはジャイナ教徒 あるいは 禅 あるいは厳格なヒンズー教信徒ではない
なら、肉を食べることは間違っていない。それで、あなたはそれらを食べる
ことを申し訳なく思わなくてもよい。しかし、もしあなたが、生きものを
食べることについて、良くないように感じて、そして、あなたがそれらを
食べるとき、すまなく思うことを望むなら、それはあなたの自由です。
伝統的に、ヘブライ - キリスト- イスラミックワールドで, 人々が 彼らに
食物を与えたことに対して全能神に感謝します。
(しかしながら、私はまったく無神論者です。私はどんな生きものにおける
生命も科学的に認めます、しかし私は個々にそれらに感謝しません。私は
魂を信じません。私は私の食物などを作成した人々と 彼らの頑張に感謝
します。そして これは私の自由です。 )
Y:鯨を殺し鯨を食べるのも、ジャイナ教の人々が野菜を殺し食べるのも、
同じ事だという事理解し、私たちの文化を理解して下さい。
E
…省略されました。全部(4,808文字)読むにはココをクリック。
- 262 :名無しさん 09/05/21 20:44 ID:16D4KwvUi2
(・∀・)イイ!! (2) - どこかのシーシェパードたんは救出しにきてくれないの?
- 263 :名無しさん 09/05/21 21:00 ID:16D4KwvUi2
(・∀・)イイ!! (2) - まぁ、ビーバーやドードーを食ってた人々が居るわけでそこには「歴史的」や「文化的」などは無かった。
美味しい肉があったから食う。 ただそれだけ。
鯨肉が安価で供給されていた時代はそれなりに「普通の食卓に出る料理」として食われていた。
まぁ、鯨肉が出回ればそれだけ牛肉や豚肉の需要が落ち込み特定の国が食糧戦略的に困る。
文化的じゃないだの知的生物だのと理屈をごねてるが結局はその国の農場、ひいては国の利益を
守るために踊らされているだけ。
それだけの話じゃね。
- 264 :名無しさん 09/05/22 01:24 ID:qrrBHKc1Pb
(・∀・)イイ!! (-6) - 日本は肉を生産しませんか?
ここ、UKで、我々は日本から Wagyu を輸入します。
(しかしながら、 wagyu は非常に高額過ぎて、そして過大評価されています。
人々がしばしば wagyu とフィレ・ミニョンの間の相違を区別することが
できません。)
もう1つの商業捕鯨国ノルウェーが同じく肉を生産します。
ビーバーは初期の移住者が たくさんの家畜牛がいませんでしたので
北アメリカのある特定の地域で 17世紀に食べられました。それは
アフリカーナの Potjiekos (当時の土地の動物を狩り料理した)に類似
していました。
私はそれが食肉産業に関係している何もであると思いません、しかしそれは
絶滅寸前の生物の問題です。
中国の民族が同様これを理解しません、そして、USAがそうしなく、彼らは
京都条約に従いません。そして中国人が肉のために危険にさらされたパンダを
殺すことは間違っていると考えないように、彼らは京都条約に従いません。
この理由で、私はあなたの議論を捨てます。私は青年259がいっそう洗練
されたディスカッションのために戻るまで待つでしょう。
- 265 :名無しさん 09/05/22 11:31 ID:zUHTneEh8A
(・∀・)イイ!! (5) - 調査をしない団体が「クジラは減っている!絶滅寸前なんだ!」という主張をしてもなぁ。
増えすぎたクジラや迷いクジラたちによって、彼らの国周辺の水産資源を枯渇させたなら
唐突に方針を転換し害獣指定するのは目に見えている。
- 266 :名無しさん 09/05/22 13:01 ID:rFkqprER3N
(・∀・)イイ!! (6) - 自分は食わないと言うのは構わないが、
俺は食わないのだから他人にまで食うなと言うジャイアニズムが問題だ
- 267 :名無しさん 09/05/22 16:02 ID:YBgQfnnNoI
(・∀・)イイ!! (4) - >>261
「禅の人々」ではなくとも、少数ではない日本人が
全ての命に同等に尊敬と敬意を感じている。
絶滅種かそうでないかによって命の重さは変わらない。
養殖や家畜だからといって、天然や野生と何も変わらない。
虫だからといって、命を粗末には思わない。
あなたの日本語がむつかし過ぎて私には理解できない。
- 268 :259 09/05/22 20:33 ID:.rWgX2o.73
(・∀・)イイ!! (0) - え、あ、私の事を待っていて下さっていると受け取ってもよろしいのですかね?
残念ながら私は青年でも少年でもなく、まだ『少女』を名乗りたい年頃なのですが^^;
えー…最初に断っておきますが、私も私の家族も宗教というものはやっておりませんw
食べ物に感謝してたべるのはおかしいと仰りましたが、
今でこそ食べ物になっているものの、
もともとは私達と同じ生き物であり、命がありました。
これについては>>267と同じ意見です。
何故そんな事を思うようになったか。これは人それぞれと言うしかありません。
家族や親せきから教わったり、絵本で学んだり…
中には自分たちで豚を育て、丁度よく育ち情が移った所で殺し食べるという食育をした人達もいます。
(残酷だとおもう人もいると思いますが、私は賛成です。)
私はどうだったかと言いますと、気付いたら
「よそられたものは全て食べなければ、作ってくれた人、犠牲になった生き物に失礼」
と思っていました(笑)
ですが、「食べ物」を「もとは重い命」と考え始めたのはつい最近です。
命があり、感謝しなければならないものとしては認識しておりましたが…
きっかけは2つあります。
1つめは農業に興味を持ち始めたこと。
畑を耕し肥料を撒き、種や苗を植えるのです。
ひとつひとつの植物がキラキラ輝き、枝を折れば水が滴り命が溢れる…
植物は害虫から身を守るために進化します。虫達は助け合います。
畑の中にいるだけで、生きているという事を実感しました。
2つ目はうつ病。
夜は眠れず、食欲は無くなり、毎日が辛かった日々。そんな時に出会ったのが農業です。
が、食欲というものをどこかへ置いてきてしまい、何日も食べることができなくなりました。
体重が8kg落ちた時に、久々に口に入れた米の味、野菜の味。
私はこの食べ物達によって生かされているんだ…!!と、心から思いました。
それが、私が食べ物に感謝する理由です。
どんなに小さなお菓子にでも、心の中で手を合わせてから
…省略されました。全部(1,608文字)読むにはココをクリック。
- 269 :名無しさん 09/05/28 10:47 ID:YQnMMSWRqb
(・∀・)イイ!! (0) - どうせ死んだなら食えばいい
埋めるも食うも鯨は死んでるのだから同じこと
食べることを規制する理由が見当たらない
俺も作ってくれた人には感謝するけど、動物やら植物やらに感謝とかはしないな
(殺す現場を見たり自分が直接殺すことになったら感情的に可哀想とは感じるだろうけど)
死んだ生物に感謝しても意思の疎通ができるわけでもないし、
感謝したところで生き返る訳でもない
生物が他の生物を殺し食べるのは至極当然のこと
多数派である「感謝して食べてましょう」というのが正しい意見として述べられ、小さい子に教育して洗脳していくけど、
正直、そういうの見ると「感謝して食べてます」と言うことで殺したという罪悪感を和らげるための偽善に思える
感謝して食べるのは個人の勝手だけど、「死んだ生物に感謝するということ=正しい」「死んだ生物に感謝しない=悪い」 と定義付けて教え込むのはどうかと思う
俺は肉や野菜に感謝することは無意味だと思うししない
- 270 :名無しさん 09/05/28 12:05 ID:uophZIM0hf
(・∀・)イイ!! (-2) - >>268
少年は年若い男子と女子、両方を指す言葉で
女の子でも少年でいいんだよ
と、テーマに関係のないことを書いてみる
だめぽ怖い・・・
- 271 :名無しさん 09/05/28 12:43 ID:YQnMMSWRqb
(・∀・)イイ!! (0) - >>270
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4
>少年(しょうねん)は、年若い人のことを指し、特に男子の子供(男児)で、おおよそ7歳から18歳頃までの世代を指す。
>一般的には、女児は含まない(おおよそ少女と呼ぶ)のだが、「少年法」など司法の世界では、
>性別を問わず年少の者を指すことが通常である。
>各種の法律における「少年」の定義は法律により異なる。
こういうとこで普通に話す分には女は含めないのが正しい
- 272 :名無しさん 09/05/28 18:04 ID:OD9N-s87Ut
(・∀・)イイ!! (2) - >>257
日本人のクジラを食べることの歴史上の意味合いについていくつか補足しておきます。
ももんじ屋との比較についていえば、一種の薬用食としてクジラを食べる習慣があったことは事実です。
ただ、この点に関しても日本人のクジラに対する文化的なイメージについて注目しておく必要はあると思います。
クジラの古い別名を勇魚(いさな)といいますが、これは文字通り、勇気の魚です。
大きく雄大なクジラ自身のイメージに加えて、近代以前の漁法でクジラをしとめることはとても危険が伴い漁師にも勇気の資質が求められたことが、
クジラが勇魚と言われた一因でもあるようです。
また、このことから勇気を資質として持つよう期待されていた武士(侍)の間では、縁起のいい食べ物としてクジラの肉の贈答がなされています。
(余談ですが下級武士だった私の先祖の一人も上司からクジラの肉をいただいて食べたそうですが、
どうも痛んでいたようで翌日食あたりを起こしている様子が1820年代の先祖の日記に書かれています)
結論としていえばクジラが取れる沿岸部の漁村や、比較的流通が発達した江戸時代の後期の都市部では
クジラの肉はマグロやイワシに比べれば珍しいものの(当時の日本人の感覚からすればクジラは魚です)
ある程度一般的な食材として需要と供給がありました。
また庶民でも口にすることはできました。いくつかの料理店は細々とですが、現代まで営業を続けています。
(上に書いたように日常食というよりはごちそうやイベントに付随する扱いですが。)
- 273 :名無しさん 09/05/28 18:24 ID:uophZIM0hf
(・∀・)イイ!! (0) - >>71
たしかに「少年」は現在一般に使われる場合は特に男子の子供を指して使われる語だな
ただ、元来は男女両方に使える語なので
女子の子供を少年といっていても間違いではないんだよって
話をなんとなく書きたくなったので書いてみただけwww
- 274 :名無しさん 09/05/28 20:35 ID:nKYMCJWwz,
(・∀・)イイ!! (1) - 食べられるなら食べたほうが鯨だって浮かばれると思う。
もし人間が食べなくても、食物連鎖の一環として、他の形でもいいから
きちんと循環させてあげたい。
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