2009年5月15日 17時21分終了#33018 [社会] 迷って弱って死んでしまったクジラ、食べてもいい? ID:9YA,eR9,jP
(・∀・)イイ!! (28)
世界中の動物愛護団体が
日本の捕鯨に対して非難を浴びせていますが、
弱って死んでしまったクジラ(自然死)は日本の法律で
食べてもよいらしいです。
今日もニュースで日本の湾に迷い込んだクジラがおり、
テリー伊藤さんは……
「死ぬ場合もある。そのとき、日本の法律では
食べてもいいことになっている。今後どうするのか。
埋める可能性もあるし、食べるという話にもなる。
そういう状況では、かわいそうととらえる必要も、僕はないと思う」
とコメントしたようです。
みなさんは、弱って死んだクジラを
食べてもいいと思いますか? それとも、
食べないで処分したほうが良いと思いますか?
1 | 食べてもいい | 1590 | (79.5%) |
2 | 食べずに処分 | 410 | (20.5%) |
無視 | 1 |  |
棒グラフまたは左の番号をクリックするとその項目を元にしたしっかりアンケートが作れます。
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合計回答数: 2000人 / 2000個
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- 268 :259 09/05/22 20:33 ID:.rWgX2o.73
(・∀・)イイ!! (0) - え、あ、私の事を待っていて下さっていると受け取ってもよろしいのですかね?
残念ながら私は青年でも少年でもなく、まだ『少女』を名乗りたい年頃なのですが^^;
えー…最初に断っておきますが、私も私の家族も宗教というものはやっておりませんw
食べ物に感謝してたべるのはおかしいと仰りましたが、
今でこそ食べ物になっているものの、
もともとは私達と同じ生き物であり、命がありました。
これについては>>267と同じ意見です。
何故そんな事を思うようになったか。これは人それぞれと言うしかありません。
家族や親せきから教わったり、絵本で学んだり…
中には自分たちで豚を育て、丁度よく育ち情が移った所で殺し食べるという食育をした人達もいます。
(残酷だとおもう人もいると思いますが、私は賛成です。)
私はどうだったかと言いますと、気付いたら
「よそられたものは全て食べなければ、作ってくれた人、犠牲になった生き物に失礼」
と思っていました(笑)
ですが、「食べ物」を「もとは重い命」と考え始めたのはつい最近です。
命があり、感謝しなければならないものとしては認識しておりましたが…
きっかけは2つあります。
1つめは農業に興味を持ち始めたこと。
畑を耕し肥料を撒き、種や苗を植えるのです。
ひとつひとつの植物がキラキラ輝き、枝を折れば水が滴り命が溢れる…
植物は害虫から身を守るために進化します。虫達は助け合います。
畑の中にいるだけで、生きているという事を実感しました。
2つ目はうつ病。
夜は眠れず、食欲は無くなり、毎日が辛かった日々。そんな時に出会ったのが農業です。
が、食欲というものをどこかへ置いてきてしまい、何日も食べることができなくなりました。
体重が8kg落ちた時に、久々に口に入れた米の味、野菜の味。
私はこの食べ物達によって生かされているんだ…!!と、心から思いました。
それが、私が食べ物に感謝する理由です。
どんなに小さなお菓子にでも、心の中で手を合わせてから
…省略されました。全部(1,608文字)読むにはココをクリック。
- 269 :名無しさん 09/05/28 10:47 ID:YQnMMSWRqb
(・∀・)イイ!! (0) - どうせ死んだなら食えばいい
埋めるも食うも鯨は死んでるのだから同じこと
食べることを規制する理由が見当たらない
俺も作ってくれた人には感謝するけど、動物やら植物やらに感謝とかはしないな
(殺す現場を見たり自分が直接殺すことになったら感情的に可哀想とは感じるだろうけど)
死んだ生物に感謝しても意思の疎通ができるわけでもないし、
感謝したところで生き返る訳でもない
生物が他の生物を殺し食べるのは至極当然のこと
多数派である「感謝して食べてましょう」というのが正しい意見として述べられ、小さい子に教育して洗脳していくけど、
正直、そういうの見ると「感謝して食べてます」と言うことで殺したという罪悪感を和らげるための偽善に思える
感謝して食べるのは個人の勝手だけど、「死んだ生物に感謝するということ=正しい」「死んだ生物に感謝しない=悪い」 と定義付けて教え込むのはどうかと思う
俺は肉や野菜に感謝することは無意味だと思うししない
- 270 :名無しさん 09/05/28 12:05 ID:uophZIM0hf
(・∀・)イイ!! (-2) - >>268
少年は年若い男子と女子、両方を指す言葉で
女の子でも少年でいいんだよ
と、テーマに関係のないことを書いてみる
だめぽ怖い・・・
- 271 :名無しさん 09/05/28 12:43 ID:YQnMMSWRqb
(・∀・)イイ!! (0) - >>270
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4
>少年(しょうねん)は、年若い人のことを指し、特に男子の子供(男児)で、おおよそ7歳から18歳頃までの世代を指す。
>一般的には、女児は含まない(おおよそ少女と呼ぶ)のだが、「少年法」など司法の世界では、
>性別を問わず年少の者を指すことが通常である。
>各種の法律における「少年」の定義は法律により異なる。
こういうとこで普通に話す分には女は含めないのが正しい
- 272 :名無しさん 09/05/28 18:04 ID:OD9N-s87Ut
(・∀・)イイ!! (2) - >>257
日本人のクジラを食べることの歴史上の意味合いについていくつか補足しておきます。
ももんじ屋との比較についていえば、一種の薬用食としてクジラを食べる習慣があったことは事実です。
ただ、この点に関しても日本人のクジラに対する文化的なイメージについて注目しておく必要はあると思います。
クジラの古い別名を勇魚(いさな)といいますが、これは文字通り、勇気の魚です。
大きく雄大なクジラ自身のイメージに加えて、近代以前の漁法でクジラをしとめることはとても危険が伴い漁師にも勇気の資質が求められたことが、
クジラが勇魚と言われた一因でもあるようです。
また、このことから勇気を資質として持つよう期待されていた武士(侍)の間では、縁起のいい食べ物としてクジラの肉の贈答がなされています。
(余談ですが下級武士だった私の先祖の一人も上司からクジラの肉をいただいて食べたそうですが、
どうも痛んでいたようで翌日食あたりを起こしている様子が1820年代の先祖の日記に書かれています)
結論としていえばクジラが取れる沿岸部の漁村や、比較的流通が発達した江戸時代の後期の都市部では
クジラの肉はマグロやイワシに比べれば珍しいものの(当時の日本人の感覚からすればクジラは魚です)
ある程度一般的な食材として需要と供給がありました。
また庶民でも口にすることはできました。いくつかの料理店は細々とですが、現代まで営業を続けています。
(上に書いたように日常食というよりはごちそうやイベントに付随する扱いですが。)
- 273 :名無しさん 09/05/28 18:24 ID:uophZIM0hf
(・∀・)イイ!! (0) - >>71
たしかに「少年」は現在一般に使われる場合は特に男子の子供を指して使われる語だな
ただ、元来は男女両方に使える語なので
女子の子供を少年といっていても間違いではないんだよって
話をなんとなく書きたくなったので書いてみただけwww
- 274 :名無しさん 09/05/28 20:35 ID:nKYMCJWwz,
(・∀・)イイ!! (1) - 食べられるなら食べたほうが鯨だって浮かばれると思う。
もし人間が食べなくても、食物連鎖の一環として、他の形でもいいから
きちんと循環させてあげたい。
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