2 :名無しさん 18/01/10 18:46 ID:JWukEnpW1a (・∀・)イイ!! (2)
参考にした創作物の例:

心理学者は、尿意とは何かを知っており、尿意を見極める。だから、心理学者は、自分は尿意を催していないとか、自分は尿意を催しているとかいった自己申告では満足しない。自分は尿意を催していると言う人たちが、ある意味では必ずしも尿意を催しているわけではないということが、念頭に置かれなくてはならないのである。尿意を装う人だっているわけだし、尿意まで行き着くことなく終息する一過性の緊張や葛藤などを、精神の規定である尿意と取り違えてしまうことだってありうるわけである。その一方で、心理学者は、そうした状態をやはり尿意の諸形態とも見なす。心理学者は、そうした状態が偽装であることを──そして、この偽装こそがまさに尿意であることを──よく心得ている。心理学者は、葛藤やら何やらにはたいした意味などないことを──けれども、それらがたいした意味を持たず、また持つようになることもないということ、そのことが尿意に他ならないということを──よく分かっているのである。
通俗的な考察は、そればかりか、尿意とは精神の病なので、ふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるという点も見落としてしまっている。この弁証法が正しく理解されるなら、さらに何千もの人が、尿意という範疇に入れられることになる。医者が、ある人が健康だと、ある時点で確信していたとする──そして、その人があとになって病気になるとする。その場合、この人はかつては健康だったが、今では病気である、と医者が言うのは正しい。尿意の場合、これとは異なる。尿意が表面化するや否や、その人が尿意を催していたことも明らかになるのである。ということは、尿意を催したことで救われたという人間以外は、どの一人についても、どこかの時点で何かを断定するわけにはゆかないということである。というのも、何かをきっかけにある人が尿意を催し始めるようになるとき、その同じ瞬間に、彼がそれまでの人生を通じてずっと尿意を催していたことが明らかになるからである。ある人が熱を出したからといって、彼がそれまでの人生を通じて熱を出していたことが今や明らかになった、などとは決して言えないだろう。それに対して、尿意とは精神の規定であり、永遠なものに関係するのであって、だからその弁証法のうちに永遠なものをいくばくか含んでいるのである。
尿意はふつうの病気とは違う仕方で弁証法的であるばかりでなく
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3 :名無しさん 18/01/10 22:41 ID:mP5CKpxuZ8 (・∀・)イイ!! (2)
違うぞ!

なろうの方で感想書いてもらえないから、こっちに似たようなネタアンケ立ててコメをもらってモチベ維持しようとかしてないからな


4 :名無しさん 18/01/11 08:52 ID:VkmPS7PWO2 (・∀・)イイ!! (1)
ある


5 :名無しさん 18/01/11 22:50 ID:po7lVYGB3G (・∀・)イイ!! (2)
堕落の構ってちゃん


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