- 2 :名無しさん 24/12/05 04:15 ID:Pmqkl98_OI
(・∀・)イイ!! (0) - #### 誕生——戒厳令と「肛門」の出会い
「僕の肛門も戒厳令が出されそうです」というフレーズの初出は、明治8年(1875年)に刊行された風刺雑誌『滑稽半国志』に遡る。これは、当時のジャーナリスト・小野寺洒水(おのでら しゃすい)が執筆した短編コラムの一節である。戒厳令が出された地域の緊張感を皮肉りつつ、庶民の生理的な不安を軽妙に表現したこの文言は、当時の読者に衝撃を与え、瞬く間に評判となった。
背景には、当時の政治的緊張がある。明治政府は、西南戦争(1877年)や自由民権運動の台頭など、内外の問題に直面しており、戒厳令が発令されるケースも増えていた。小野寺はこれをユーモアで切り取る手段として「戒厳令」を用い、人々の日常的な不安(特に身体的なもの)と結びつけることで、社会批判と娯楽性を兼ね備えた表現を生み出したのである。
#### 大正・昭和——寄席文化と映画の中で
明治期に生まれたこのフレーズは、大正時代に入ると寄席芸人たちの間で広まり、漫談の鉄板ネタとなった。大正6年(1917年)の記録には、漫談師・月岡千八(つきおか せんぱち)が「肛門戒厳令」を用いて観客を沸かせたという記述が残されている。この時期、戒厳令は一般的な言葉となり、庶民の生活にある種の緊張感をもたらしていた。それゆえ、このフレーズを使うことで聴衆の共感を得ると同時に、笑いを引き起こすことができたのだ。
昭和初期には、映画やラジオのスクリプトでもこのギャグが多用されるようになった。特に、昭和10年(1935年)公開の映画『笑撃!戒厳令発布』では、主人公が「僕の肛門も戒厳令が出されそうだ」と叫ぶシーンが観客の爆笑を誘い、以降このフレーズは「戒厳令」の象徴的ジョークとして定着した。
#### 戦後の忘却と復活
戦後、日本の価値観や文化は大きく変化し、戒厳令自体が現実のものとして語られることが少なくなった。それに伴い、このフレーズも一時的に忘れ去られる。しかし、1960年代後半の学生運動の中で、再び皮肉的なジョークとして復活する。左派系のデモ隊が「戒厳令」的な政府の抑圧を揶揄し、「肛門戒厳令」というプラカードを掲げたエピソードは有名だ。
…省略されました。全部(2,144文字)読むにはココをクリック。
このページの一番下のレスはスレッドの末尾ではありません。新しいレスが存在します。日時や流れを確かめて書き込みをお願いします。
板に戻る 全部 前100 次100 最新50