
- 2 :名無しさん 26/03/21 20:48 ID:uBNqMz-yqK
(・∀・)イイ!! (1) - もしも桶狭間の戦いにおいて織田信長が敗れ、さらには豊臣秀吉までもが討ち死にしていたとしたら、その後の日本史はどのように展開したであろうか。一見すると、勝利した今川義元がそのまま上洛し、畿内を制圧して「天下人」となる未来が思い浮かぶかもしれない。しかし、実際にはそう単純な話ではない。むしろこの仮定のもとでは、「誰も天下を取れない」という混沌の長期化こそが最も現実味のある帰結である。
まず前提として、今川義元の勢力は確かに当時としては有力であったが、それはあくまで駿河・遠江・三河を基盤とした地域大名の域を出ない。上洛を目指すにしても、尾張を制圧した後には美濃の斎藤義龍(あるいはその後継者)、さらには近江・畿内に割拠する六角氏や三好氏といった有力勢力との対決が待ち受けている。しかも当時の戦国大名たちは、それぞれが独自の権益と軍事力を持ち、中央権力の空白を背景に自立していた。仮に義元が尾張を制圧できたとしても、その先に待つのは消耗戦の連続であり、電撃的に天下を掌握できるほどの圧倒的優位を持っていたわけではない。
さらに重要なのは、信長という存在が消えることで、日本史における「統一への加速装置」が失われる点である。信長は楽市楽座や鉄砲の集中的運用といった革新的政策により、単なる軍事的勝利にとどまらず、戦国社会の構造そのものを変革した人物であった。その後を継いだ秀吉もまた、刀狩や太閤検地によって全国支配の制度的基盤を築いた。これらの連続した改革があって初めて、日本は「統一国家」へと収斂していく。しかしその両者が早期に消滅した場合、このような急進的変革は起こらず、各地の大名は従来通りの分権的な秩序の中で抗争を続けることになる。
この状況では、後に江戸幕府を開く徳川家康の運命も大きく変わる。そもそも家康は今川家の人質として青年期を過ごし、その後独立して勢力を拡大したが、信長との同盟関係があったからこそ三河・遠江の基盤を安定させることができた。もし義元が生存し続け、今川家が強大なままであったならば、家康は独立の機会を得られなかった可能性が高い。あるいは義元死後の今川家の内紛に巻き込まれ、歴史の表舞台から消えていたかもしれない。いずれにせよ、後の江戸幕府成立へと至る道筋は完全に断たれる。
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