- 12 :名無しさん 07/08/17 03:00 ID:DCxlnwycLM
(・∀・)イイ!! (1) - 日本だって食ってたんだし、どこの国が何食おうと、自分に迷惑や関係がないから関係ない。
ttp://kanta1945.hp.infoseek.co.jp/kanmemo13.htm
日本で布教していたイエズス会のルイス・フロイスが『日欧文化比較』の中で
「ヨーロッパ人はニワトリや鶉・パイ・プラモンジュなどを好む。
日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻などを喜ぶ」とある。
また「我々は牛を食べるが、彼等(日本人)は牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」とある。
前述の本草書にも「犬は五労七傷を治し、気力を益し、腎を安んじ、胃の気を補う、もっとも効くのは黄犬で、次には黒犬・白犬がいい」とある
寛永12年(1643)刊の『料理物語』には、犬の料理法として吸い物と貝焼があげられている。
17世紀頃の兵法家大道寺友山の「落穂集」で「自分の若い頃には、江戸の町方には犬はほとんどいなかった。
というのも武家方・町方ともに
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、見つけ次第に打ち殺して食べたから」と書いている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
伊勢安濃藩・尾張藩・会津藩などで犬殺し禁令がしばしばだされたり、
大田蜀山人の『一話一言』には
「薩摩では犬の子をとらえて腹を裂き、臓腑をとりだしたあとの腹内へ米をかしいでおさめる。その跡を針金でかたくしばり、竈の焚き火にいれて焼く。
腹内の米は黄赤色のよく蒸された飯となる」。これを「えのころ飯」という」とある。
幕末の蝦夷地(松前)で幽閉生活のロシアのゴロウニンの『日本幽閉記』に「松前の和人社会では宗教上の規律を無視して肉を食べており、
特にある役人は好んで犬肉を好み、子犬を熱湯に生きたままほうり込みすぐに引き上げ毛をむしって食べる」とある。
鎌倉時代の都市遺跡・広島県の草戸千軒遺跡から出土した骨の2/3は調理された犬の骨である。
万里小路時房の日記『建内記
…省略されました。全部(1,110文字)読むにはココをクリック。
このページの一番下のレスはスレッドの末尾ではありません。新しいレスが存在します。日時や流れを確かめて書き込みをお願いします。
板に戻る 全部 前100 次100 最新50