212 :名無しさん 09/05/16 18:09 ID:Fjca4Nwa4u (・∀・)イイ!! (11)
恐らくずっと議論が平行線を辿りそうな感じなので
一応この「頭が良いから食べちゃダメ」みたいな欧米人独特の奇矯な理屈を
ちょっと補足するとですね、これにはキリスト教的な背景があるんですよ。

まずキリスト教、あるいは一神教的な考え方として「この世は神が人間のために用意したものである」
というのがあったんですね。だから人間以外のこの世のものは全て、人間がどう勝手にいじろうが良かったんです。
森を刈るのも動物を狩るのも川や海を埋めるのも勝手にどんどんやっていいと。
で、その延長として、動物も人間のために用意された物だから人間が好きにして良いのですと。
だからこそ、アニミズム的倫理観の濃い中世日本では発想自体が生まれ得ない、食肉牧畜や動物実験なんかができたわけです。

ただその動物を木石と同等に扱うような行動には、神学からも哲学からも異論が生まれたんです。
「愛玩動物は躾けることができる。意志を持っているように見える事がある。
これは人間のように魂、知性をもっているから出来る行動ではないのか?
魂を持った生き物は神に愛されていないのか?人間は魂を持った生き物まで好きにして良いのか?」
大雑把に言うとそういう議論です。
この議論が大きく広がって、長い長い時間をかけて、倫理観の着地点として落ち着いたところが、
「人間と同等ではないものの、一部の動物には動物の魂があり、尊重されるべきであろう」という結論だったわけです。
ポイントは、「知性がある=神を感じられる」ということが、「魂を持っている=神に愛されている」ということの基準になっていることです。

この議論の文脈の中から産まれたのが、この「クジラは頭がいいから殺すな」という理論なんですね。
要するに「クジラには魂があるから殺すな」と言ってるわけですが、
日本人からしたら「この世の凡百の物、道具や架空のキャラクターにすら魂はあるんだから、クジラに魂があるのはあたりまえじゃないか」
となるわけですが、「魂があっても殺す」という、日本人のこの考え方は欧米人には理解できないわけですよ。

どっちが優れてるとかどっちが劣っているという事ではなくて、
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