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ID:AFCyQX.QoM (・∀・)イイ!! (6)
http://tom5023.iza.ne.jp/blog/entry/1576020/
から抜粋
ウズベキスタンの首都都タシケント市に“国立ナポイ劇場”があります。
この建物は、戦後間もない昭和23(1948)年に、約2年の月日をかけて完成したものです。
その後、タシケント市には、二度、大地震が起こりました。
地震で、市内の建造物は、そのほとんどが倒壊しています。
ところが、二度の大地震に、ナポイ劇場はビクともしなかった。
タケシントのウズベク人たちは、劇場を眺めて次のように語ってくださっているそうです。
「戦いに敗れても日本人は誇りを失うことなく骨身を惜しまず働いて立派な仕事を残した。素晴らしい民族だ」
そうです。この建物は日本人のシベリア抑留者が造ったのです。
中略
苛酷に働かされた工事でも、決して手抜きをせずまじめに仕上げてしまう日本人。
栄養失調でボロボロの体になりながらも、愚痴も文句も言わないどころか、明るい笑顔さえあった日本人。
昨日、具合悪そうだったけれど、笑顔を向けてくれた日本人が、今日は来ていない。
どうしたのかというと、昨夜栄養失調で死んだという。
それほどまでに過酷な情況にあってなお、きちんとした仕事をしてくれた日本人。
だから、いまでもウズベキスタンの母たちは子供に
「日本人のようになりなさい」と教えているといいます。
中略
日本人墓地があります。
細い木で組んだ粗末な十字架が、そこにいくつも並んでいる。
聞くと、旧ソ連時代、日本人の墓など作ってはならない、
墓はあばいて、遺体は捨てろ、という命令もあったのだそうです。
それでも、ウズベクの人たちは、ひっそりと日本人の墓を護りぬいてくれた。
それは、日本人が作ってくれた建物や発電所などが、いまでもウズベクの人々の生活をささえてくれてることへの、せめてもの恩返しだったのだといいます。
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